畑作地帯に伸びるレール
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2010/10/31(日) 21:00:00
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 榎本駅を過ぎると鹿島鉄道の線路は広大な畑の中を貫くようにレールが伸びていました。 鉄道が走っていた時には、のどかな風景を車窓から眺められたことでしょう。 周りの風景は北海道のローカル列車のような雰囲気が漂います。
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百里貯油所跡
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2010/10/30(土) 22:27:41
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 航空自衛隊百里基地で使用される航空燃料は榎本駅近くの百里貯油所まで貨物輸送で運ばれていました。 2001年8月に貨物列車による燃料輸送が中止され百里貯油所もその役割を終えることになりました。 百里基地への航空燃料輸送による安定した利益を失ったことにより、鹿島鉄道は経営悪化しました。 榎本駅に隣接した場所には備蓄タンクがあった百里貯油所が雑草に覆われた更地になっています。
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榎本駅跡
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2010/10/29(金) 21:41:43
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 榎本駅前は広い敷地があり鉄道廃止までは無料駐車場として開放していたようです。 現在は車が入らないように駅構内入口にはポールが置かれています。 駅舎こそ取り壊されていますが、ホームやレールは当時のままの姿で残されていました。 かつては、航空自衛隊百里基地への燃料を運ぶ貨物輸送基地だったので構内も広大です。 訪れた時は草刈されたばかりのようで刈られた雑草がホーム上に放置されていました。
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線路跡とセイタカアワダチソウ
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2010/10/28(木) 19:35:52
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 秋になると河川敷や荒地でよく見かける背の高い黄色い花を咲かせるセイタカアワダチソウ。 この時期、荒川の河川敷など走ると群生して咲く黄色い花をよく見かけます。 セイタカアワダチソウの生命力は強固で土壌ではなく石ばかりの線路跡に群生しています。
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今も残る踏切跡
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2010/10/27(水) 22:40:45
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 道路の下に埋め込まれているレール。列車の通過の度に遮断機が下りて安全な往来を確保していた踏切。 現在は遮断機や周囲の線路は全て撤去され、アスファルトの部分だけレールが残されています。 頻繁に車の往来があるせいか、レールは錆びていなく現役のような雰囲気が感じられます。
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雑草に覆われた線路跡
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2010/10/26(火) 19:21:46
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 市道から30mほど脇へ入って線路跡を探すと雑草に覆い尽くされた場所にありました。 危険箇所に付立ち入り禁止のロープと札がなければ、線路跡と気づくことはないでしょう。 かつて、ここにレールが敷かれていて鹿島鉄道の列車が走っていました。
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廃線探訪とコスモス
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2010/10/25(月) 21:14:39
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 鹿島鉄道廃線探訪のポタリングをしていて、あちこちで見かけたコスモスの花咲く風景。 線路跡を探しながらペダルを漕いでいて、コスモスの花を見かけるたびに一休みといった感じです。 鹿島鉄道廃線探訪は秋が一番良い季節でしょう。 2枚目の写真ですが市道は緩やかな上り坂になっています。そして、鉄道は盛り土で少し高い場所にあります。
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鉄橋跡(玉造町駅~榎本駅)
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2010/10/24(日) 20:27:54
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 廃止された鹿島鉄道の廃線探訪。石岡駅から玉造町駅までは比較的簡単に廃線跡を見つけられました。 玉造町駅を出発すると線路跡がどこなのか見失ってしまい、しばらく迷走。 探しながら狭い路地を進んで、ようやく市道に架かる鉄橋跡を見つけました。 列車が通過しても不思議ではない雰囲気が感じられます。
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玉造町駅跡
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2010/10/23(土) 21:00:00
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 鉄道が廃止される前までは係員も常駐していてきっぷなどの販売や売店などあり賑わっていた玉造町駅。 広々していた駅構内は全て撤去され更地と化して、鉄道の駅があったことが分からないほど。 広大な駅前広場だけが当時のまま残っています。 7年前のポタリングの時には昼ごはんとして駅構内の立ち食いソバ店で御蕎麦を食べました。 駅名となっている玉造町も2005年9月2日に麻生町、北浦町と合併し行方市となってしまいました。 私もそうですが、在りし日の玉造町駅を知っている人にとっては、とても悲しい風景だと感じられるはずです。
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在りし日の鹿島鉄道
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2010/10/22(金) 19:43:32
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 3年半前までは毎日見られた風景。もう二度と見ることができない浜駅に停まる列車。 下の写真は2003年9月に訪れた時の風景ですが、コスモスに囲まれた駅と古びた列車は今でも心に残っています。
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アサザ群生地看板
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2010/10/21(木) 20:07:36
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 浜駅は霞ヶ浦湖畔のアサザ群生地の最寄り駅だったので、群生地の方向を示す看板が立てられていました。 7年前に訪れた時にはぴかぴかの綺麗な看板でしたが、現在は色あせて錆びも目立つようになっています。 鉄道がなくなり、この看板を見てアサザ群生地を訪れる人もいなくなった今も撤去されず残されています。
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浜駅跡
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2010/10/20(水) 21:55:02
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 鹿島鉄道の浜駅は7年前の9月に訪れたことがある思い出深い駅です。 木製の小さな待合室は撤去されていましたが、ホームとレールは当時のまま残されていました。 ホームからは霞ヶ浦が見えるはずですが、雑草に覆われその姿を眺めることはできませんでした。 こまめに草刈などの整備をしないと、ここまで荒れ果ててしまうことをつくづく感じさせられました。
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線路に咲くコスモス
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2010/10/19(火) 19:27:58
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 秋らしい色鮮やかなコスモスの花々。コスモスの長い茎の下を除くと錆びたレールが伸びていました。 この場所は浜駅があった場所。浜駅は7年前に乗降したことのある駅で特に思い出深い場所でもあります。
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桃浦駅跡
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2010/10/18(月) 20:00:00
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 無人駅だった桃浦駅は駅舎もホームもかろうじて残されていて、鉄道が走っていた時代の面影が残ります。 駅周辺は人ひとりいなく、静寂さと残された木造駅舎との光景が心に残りました。 使われていた1面2線を有するホームに上がってみると雑草に覆われ、廃止後3年半の月日を感じられます。 ホームは残されていましたがレールは既に撤去され、失われた鉄路の寂しさが一層増してきます。
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消え去る鉄道車両
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2010/10/17(日) 19:59:23
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 今日、JR中央線を象徴していたオレンジ一色の201系の車両が引退、豊田―松本間を臨時列車としてラストラン。 抽選で選ばれた400人の鉄道ファンが最後の乗り心地を楽しんだそうです。 中央線の201系オレンジ色車両は学生時代からお世話になり、自転車輪行でもよく利用した車両でした。 連日、3年半前に廃止された鹿島鉄道の廃線探訪を紹介しています。 鉄道自体が廃止されることはもちろん、時代を象徴した鉄道車両がまたひとつ消えていくことに寂しく感じます。
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ポプラと霞ヶ浦と筑波山
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2010/10/16(土) 22:00:00
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 鹿島鉄道廃線探訪の途中で見かけたポプラと霞ヶ浦と筑波山の風景。 廃止された鹿島鉄道の車窓からも筑波山の風景がよく見られたことでしょう。 霞ヶ浦といえば帆引き船が有名です。 穏やかな霞ケ浦に大きく白い帆を上げ、筑波山を背景に進む帆引き船の姿も運が良ければ見られます。
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ほほえみの浜
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2010/10/15(金) 20:00:00
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 鹿島鉄道の廃線跡から霞ヶ浦の湖畔沿いを少し散策。地元の方々が整備した「ほほえみの浜」がありました。 「ほほえみの浜」をはじめ霞ヶ浦の美化とポプラのある風景のよみがえり中心に活動されているようです。 天高く伸びるポプラの木々と美しい砂浜が広がっています。 絵のような美しい風景が広がる自然豊かな霞ヶ浦が甦るように訴えかけています。
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廃線と霞ヶ浦を見守る木
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2010/10/14(木) 20:00:00
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 霞ヶ浦と廃線跡との間にぽつんと立つ一本の大木。 鉄道が走っていた時代には往来する列車を一日中見守っていたようにも感じられます。 鉄道廃止とともに線路側に伸びる枝も手入れされず、線路上までを覆うように伸びていました。 まだ、線路は撤去されず残されていますが、いずれ線路が剥がされ鉄道風景が消え去る日も近そうです。
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霞ヶ浦の湖畔を沿うように
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2010/10/13(水) 19:46:54
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 琵琶湖に次いで国内では2番目に広い霞ヶ浦。鹿島鉄道は霞ヶ浦の湖畔に沿うように線路が続く区間がありました。 静かで穏やかな湖面を望むようにローカル列車が走る姿はもう見ることができません。 霞ヶ浦の湖面に沿うように続くこの区間が特に好きだった鹿島鉄道のファンも多いようです。
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剥がされる線路
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2010/10/12(火) 22:00:00
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 廃止から3年半が経つ鹿島鉄道。大部分の線路が撤去されている模様ですが、現在も撤去作業が進められています。 写真は先日も紹介した小川高校下駅と桃浦駅との9キロポスト付近。 線路跡に2台の重機が入って線路を剥がす作業を進めている様子が覗えました。 いずれは全ての線路が撤去され鉄道が走っていた面影が消え去る運命を辿ることになりそうです。
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赤茶けた線路と雑草
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2010/10/11(月) 22:00:00
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 廃線となった線路跡に残された鉄道施設の一部。左側にある箱は信号ボックスなんでしょうか。 線路の基盤に使用されていた多数の石の間から雑草が芽生えて線路を多い尽くさんとばかり伸びています。 錆びて赤茶けた線路と緑濃い雑草とのコントラストが虚しく感じられます。
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鹿島鉄道9キロポスト跡
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2010/10/10(日) 22:34:20
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 鹿島鉄道の小川高校下駅と桃浦駅の中間地点付近にある9キロポスト跡。 始点の石岡駅から、ここまで9kmを示していた鉄道の距離標識です。 この9キロポスト付近には広大な向日葵畑があり、夏は壮大な向日葵の風景が見られたようです。
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田園地帯に伸びる線路跡
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2010/10/09(土) 21:56:08
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 小川高校下駅と桃浦駅との間は田園地帯が広がり、その中を一直線に鹿島鉄道の線路が続いていました。 遠くには筑波山の姿も見られ、茨城県内を走るローカル鉄道といった雰囲気が漂っていました。 遮断機こそ撤去されていますが、踏切は当時のまま。列車が来ても不思議ではない風景が広がります。
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キハ432
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2010/10/08(金) 21:23:36
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 廃止された鹿島鉄道で最期まで現役の車両として走り続けていたキハ432。 現在は小川高校下駅近くにある小川南病院に隣接した「はるるの郷」の利用者用施設として保存されています。 保存状態はとても良く、赤とクリーム色とのツートンカラーが青空に映えて写ります。
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小川高校下駅跡
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2010/10/07(木) 21:41:44
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 田園地帯が広がる中にぽつんと存在していた小川高校下駅。 名前の通り、小川高校に通う学生さんのために設けられれていた駅としての役割を果たしてきました。 駅の開業日は1988年4月1日と鹿島鉄道の中では石岡南台駅に次いで2番目に新しい駅でした。 線路は雑草に覆われていましたが、ホームは当時のままの姿で残されていました。 小川高校へ通う多くの学生がこの駅から乗降していた光景が思い浮かんできます。 昨日紹介した鹿島鉄道存続を訴えるポスターもこの駅の一角に張られたまま残されています。
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未来へ走れ!鹿島鉄道
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2010/10/06(水) 20:02:58
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 国道355号から見られる「未来へ走れ!鹿島鉄道」の文字。 鹿島鉄道は航空自衛隊百里基地への航空燃料輸送の収入によって経営が成り立っていました。 2001年の夏に百里基地向け燃料の輸送が打ち切られたことと利用者の減少から経営悪化に追い込まれました。 鉄道廃止は通学で利用する学生さんやお年寄りにとっては深刻な問題。 鉄道廃止が囁かれる中、鉄道の存続のため沿線の中学と高校の生徒会が協力して「かしてつ応援団」を結成。 鹿島鉄道存続のためにさまざまな活動を展開してきましたが、2007年4月1日に鉄道は廃止されました。 当時、存続活動の盛り上がりはマスコミ各社でも取り上げられ全国に知り渡ったことを今でも思い出します。 活動の甲斐も実らず鉄道は廃止されましたが、存続活動は地元活性化や地域の団結など大きなものを得たことでしょう。 経営が苦しい地方のローカル鉄道にとってはどこでも抱えている課題。 「かしてつ応援団」の活動経緯は、今後、どこかで必ず生かされることと信じています。
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園部川橋梁跡
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2010/10/05(火) 18:07:03
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 国道355号に架けられている園部川新橋。国道に沿うように鹿島鉄道の線路は続いていました。 国道の脇を少し入ると園部川に架けられていた鹿島鉄道の橋梁が今も残されています。 線路は剥がされていますが、鉄道が走っていたことがはっきり分かります。 橋梁の両脇は背丈の高い雑草に覆われ、鉄道廃止からの月日の経過を感じさせてくれる瞬間です。
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常陸小川駅跡
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2010/10/04(月) 18:20:04
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 鹿島鉄道の中でも比較的乗降客が多く、石岡駅からの折り返しの列車の拠点ともなっていた常陸小川駅。 線路もホームも駅舎も撤去され雑草に覆われ、当時の面影が全く感じられない光景が広がっていました。 広々した駅前広場は当時のままで、現在は路線バスの拠点としての役割を果たしています。
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新木ノ内バス停
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2010/10/03(日) 19:32:00
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 廃止された鹿島鉄道の線路跡をバス専用道路として整備運用開始されたかしてつバス専用道路。 現在は石岡駅~旧四箇村駅との間、5.1kmがバス専用道路として運行中。 将来は更に2kmほど延長して旧常陸小川駅までの7.1kmが計画されています。 一般車両が遮断機のない場所から進入して次の交差点の遮断機前で立ち往生する場面も見られました。 まだまだ課題多そうなバス専用道路。乗降客の推移とともに今後の動向が注目されます。
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玉里駅
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2010/10/02(土) 19:52:03
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 国道355号に面していた玉里駅。鉄道廃止から3年半がたった今でも玉里駅という立て看板が残されています。 線路やホームは撤去されていますが、鉄道利用者のための屋根付き自転車置き場が当時のまま残されています。 運行開始されたばかりのバス専用道路の停留所の工事が進行中でした。
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