北海道南西沖地震...奥尻島12年目の夏
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2005/07/12(火) 10:27:48
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1993年7月12日午後10時17分、マグニチュード7.8という大地震が寝静まった奥尻島を襲いました。その数分後に20m近い大津波が奥尻島をのみこんでいきました。

震源地に近い奥尻島は、地震直後に大津波が襲い稲穂地区や青苗地区を一瞬のうちに津波が集落を飲みこみ壊滅的な被害をもたらしました。津波の最大到着地では29m、ビル8階の高さ相当の津波が襲ったそうです。

島南端の青苗地区も10m近い津波が襲い火災が発生、津波と火災により青苗地区は壊滅状態になりました。青苗岬に近い集落があった場所には奥尻津波館が建てられています。かつて、この場所には多くの民家が立ち並んでいました。震災後、この場所での家の再建はあきらめたそうです。

北海道南西沖地震で犠牲となった方の慰霊碑の時空翔が青苗岬の近くにあります。時空翔の中央にはくぼみがあり、震災のあった7月12日には、くぼみに太陽が沈むようになっています。右側に見える青苗灯台も震災により倒壊しました。

震災後、天皇皇后両陛下が被災地となった奥尻島をお見舞いされました。慰霊碑の時空翔の隣には天皇陛下の歌碑がありました。

奥尻島は地震や津波、火災により多くの建物が壊滅的被害に見舞われました。また、震災による犠牲者も198人に達し静かな島は一瞬のうちに悪夢に見舞われました。あれから12年。奥尻島は震災5年後の平成10年3月に完全復興宣言をしました。今は震災の傷跡もほとんど見られず平和で静かな島のように見えます。今日、7月12日は島のあちこちで犠牲者を追悼する式典が開催されることでしょう。北海道南西沖地震、阪神淡路大震災、新潟中越地震などいつどこで震災に見舞われるか予測できません。年月を重ねていくとともに風化しつつある震災の恐怖。震災の記憶を忘れないよう、そしてあの災害から学んだ教訓を後世に残していきたいものです。

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